2017年11月2日木曜日

1-19-a ジョゼフ・フーシェ (4)

フーシェ
人民の自由を持ち上げようと得意げに熱弁をふるいつつも、フーシェはおそらくフランスにいる者の中で、専制政治の最も揺るぎない支援者だった。彼は良心のとがめを感じる事なく皇帝の暴君じみた野望と要求を叶えていた。ナポレオンが立法院に対して、国家の機関を果たしておらず、法律を制定するに不能であるため断じて許容できず、然るに彼(皇帝自身)のみが国家の唯一にて真なる代表者であるとの、世に知られるあの猛烈な痛罵を加えた時、この国王弑虐者はこのような怪物じみた主張に対抗するものと期待された。ナポレオンもそのように予想したので、彼の方からこの大臣に向けてこの件について巧みに甘言を弄してみせた。だがこの大臣はナポレオン自身よりもずっと手管に長け、また狡猾なのと同じくらい卑屈な人間だった。「このやり方こそ陛下がすべき統治の有り様です。立法府それ自体が君主に属すべき人民の代表権を僭称しております。陛下、君主大権の妨げとなる議会をみな解体なさいませ。ルイ16世がそのようにしてましたら、彼は必ずや今日も生き長らえ、君臨していたことでしょう!」皇帝は目を見開くと、「これはどういうことだ、オトラント公!貴公はルイを処刑台送りにした人間の一人じゃなかったかね?」「はい、陛下。それこそ私が光栄にも陛下に捧げた最初のご奉仕であります!」

とはいえ、フーシェは決してナポレオンのお気に入りではなかった。彼は、帝政の運勢がいつか引っ繰り返り、共和政を樹立する兆候を唯々待ちわびて暗躍する党派の頭目だとの疑いを持たれていた(おそらくその通りだろう)。ルイの死後に即座に制限なき権力を手にした者達の多くは、最も尊大で専制的な君主に服従する屈辱に耐えられなかった。だが皇帝にとって最も不愉快なことに、王党派に対して恐怖以外の何者でもないこの大臣が莫大な影響力を有し、また共和主義者の陰謀からの防波堤を務めていた。この大臣が両派からおもねられており、そして彼がフォーブール・サン=ジェルマンの脅威というよりアイドルであるとの考えは、皇帝の頭の中には無かった。皇帝の不満は、大目玉を食らうに価するある出来事によって増大する。1809年に皇帝が対オーストリア戦役で不在の間、イギリス軍がヴリシンゲンを占領し、ベルギーに侵攻する様相を見せた。フーシェは国民衛兵を召集し、帝国の国境の防衛にベルナドットを派遣した。彼の措置はみごと成功を収めた。この時より彼の失脚は決定付けられる。軍隊を組織し、無数の敵を打ち負かす実行力と影響力を備えた大臣は、ナポレオンの手に余る存在だった。皇帝は他の何よりもフーシェをクビにできるもっともらしい口実を求めたが、その機会はすぐにやって来た。奇妙なことに、皇帝と大臣の双方が同時期にイギリス政府に向けて講和を打診する使者を派遣した。使者らは互いの存在を知らず、同じ任務を拝命しているとは全く気付かなかったため、和平締結の論拠となる提案内容に食い違いが発生する結果となった。この時に外交を一任されていたウェルズリー侯爵はこれを罠だと見なし、よってあらゆる交渉を破談にした。ナポレオンは彼の和平提案が如何にして妨害されたか直ちに把握すると、従臣居並ぶ中、大それた事をしでかした大臣を猛然と痛罵した。「そうか貴様は私に断りなく和平と戦争を差配する気なのだな!」フーシェはザヴァリーと交代させられると、田舎の自領へと引退を強いられた。



フーシェがフェリエールに腰を据えてさほど経たないうちに、密偵が彼の書類がじきに押収されるだろうとの情報を伝えてきた。書類の中には彼と皇帝との間に交わされた内密の書簡が含まれていた。それらを手放しては、彼は己の専断的な行為を正当化する免罪符を失ってしまう。ナポレオン直筆の命令書を保持する限り、彼が処罰を恐れる必要は無いからだ。フーシェは少なくとも最重要の書簡だけは引き渡しはすまいと心に決めると、慎重に隠し、成り行きを冷静な面持ちで待ち構えた。やがてレアルとデュボワを連れてベルティエがやって来た。フーシェ自身がこの時の情景を下記の通り描写している。

「彼らの決まり悪そうな様子から、私はまだ彼らより優位に立っており、彼らの要求もやりよう次第でどうにかなると察知した。事実、最初に口を開いたベルティエは明らかに気兼ねした様子で、皇帝の命令によって書簡を要求する為にやってきたのだと告げた。書簡を必ず引き渡さなくてはならず、もし私が拒否したならば、デュボワ長官は私を逮捕して文書を押収するとの話だった。レアルは説得するかのように、もっと感情を込めて旧友の私に話しかけた。彼は涙を流さんばかりの熱心さで私に皇帝の意に沿うよう促した。『諸君!』と私は平静に即答した。『私は皇帝の命令に抵抗する!たとえ私が最も良い働きをした時にさえ、皇帝が不当な疑いによって私を傷つけることがあったが、それでも私は常に強い熱意を持って皇帝に仕えて来た。私の執務室に入り、どこなりとも捜索したまえ。鍵を全て渡そう。私自ら諸君に文書を提供しよう。』私がこう発言した際の確固不動たる調子は効果てきめんだった。私は続けた。『私が職務についていた時期に、皇帝と私の間で交わされた私信だが、永久に秘匿されるべき類の手紙であるので、辞職した時にそうした一部を焼却した。そのような重要な文書を軽々しく人目に晒すべきではないだろう。それらを別として、諸君、皇帝の求める手紙を差し上げよう。封がされ、印がついた二つの包みの中にある!』」

この空前のはったりは彼らを圧倒した。彼らは重要でない書類をいくつか押収すると、微笑む公爵のもとを慇懃に退出した。彼らが発った直後、フーシェも身支度を整えると、夜の闇に紛れて誰にも知られず、彼らの後を追った。家令が所有する一頭立て馬車に乗り、友人一人だけを伴って、彼はパリの自邸に到着した。そこでスパイを通じて何が宮中で勃発しているか知った。激しい怒りにかられた皇帝は、派遣された一味をバカの集まりと呼び捨て、中でもベルティエを帝国で一番ずる賢い男にしてやられた年増女のような奴と罵った。ナポレオンは主君をおちょくるこの太々しい男に報復をしてやると息巻いた。状況は全くもって芳しくなかったものの、この手練れの詐欺師は何ら臆することはなかった。彼はナポレオンとの面会を決意すると宮中に参内したが、そのことは執務室への取次ぎをしたデュロックを仰天させた。

「皇帝と顔を合わせるとすぐさま私は彼の素振りから何を目論んでいるか見抜いた。私が一言も発しないうちに、彼は私を抱きしめると、おもねって、先般の己の性急な行為を悔恨するかのような発言をした。そしてあたかも関係修復を望んでいるかのような口ぶりで、彼の書簡を渡すよう要求して話を切り上げた。『陛下』私は毅然としてこう答えた。『私はそれらを破棄しました。』『そんなことがあり得るか。私に寄越せ!』と彼は激怒で眉をひそめつつ返した。『灰になって―』『失せろ!』(彼は憤怒の形相でこう発言した。)『陛下―』『下がれと言った!』(この言いぶりは私にこれ以上その場に留まるのを断念させた。)私は短い覚書を手にしていたが、こうなった以上、退出する際に丁重にお辞儀をしつつ、それを卓上に置いた。彼は怒りながらその紙を掴むと細切れにした。」


フーシェが自邸に戻ってしばらくして、ベルティエの訪問が告げられた。「私は皇帝がここまで激怒しているのを見たことがない。」とベルティエは言った。「皇帝は、貴公が私たちをかもにし、また彼をも騙そうとしていると言い張っておいでだ!」フーシェは既に2度告げた嘘を繰り返すと、もし文書が皇帝の手に落ちたら、もはや取り戻すことはできないと言い加えた。ベルティエはすごんだが、「皇帝に告げろ」と豪胆にも元大臣は返答をした。「25年間、私は断頭台に首を預けて眠るのに慣れ切っている。皇帝の権力の程は知っているが畏れはしない。お望みならば私をストラフォード伯のようにするがいいと伝えろ!」両者は決裂し、フーシェはこれまで以上に皇帝の署名と印璽のついた文書を守らなくてはと決意した。もし文書を失ったら、その執行の為に彼がした悪逆非道な行為の責任を、いずれ彼一人が負わされることになるのだ。

ストラフォード伯トマス・ウェントワース
英国議会の弾劾を受け処刑:1641年没

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