2020年7月14日火曜日

ラ・ファイエットとワシントンとバスティーユの鍵

本日7月14日は「フランス革命記念日」で、これは1789年のバスティーユ襲撃の日に由来するということで、それにちなんだ小話を。



バスティーユが陥落した後、32歳のラ・ファイエットはフランス全土の秩序を守るために結成された国民衛生の司令官に任じられた。1789年7月14日、王室の専制政治の象徴であったバスティーユ牢獄が暴動を起こした市民によって襲撃された直後に、その鍵がラファイエットに引き渡された。この鍵は錬鉄製で、重さはだいたい540gだった。1790年3月、革命の行く末を気楽に構えていたラ・ファイエットは、思いつきでバスティーユの鍵をアメリカにいるジョージ・ワシントンに記念品として送ろうとした。



ラ・ファイエットはまず、トーマス・ペインに鍵を託し、そこから色んな人の手を介して最終的に1790年の夏の終わり頃にワシントンに届いた。ワシントンは、この鍵をニューヨークの大統領邸に飾り、その後1790年秋にフィラデルフィアに政権が移転した後も、この鍵を目立つところに展示した。1797年、ワシントンの大統領退任に伴い、鍵は彼の自邸のマウント・バーノンに運んで展示した。1799年にワシントンが死去した後も、家族は鍵をそのままにしていた。1824年、ラ・ファイエットが息子と一緒にアメリカを再訪した際に、マウント・バーノンでこの鍵と再会する。この再会はラ・ファイエットにバスティーユ陥落を皮切り勃発したフランス革命のその後顛末と、自身の運命の変遷を思い起こさせたという。

マウント・バーノンのワシントン邸は、現在はマウント・バーノン婦人協会による信託で所有されており、見学者は邸内の中央ホールにてバスティーユの鍵を見ることができる。
また、バスティーユの牢獄自体が、革命後の1806年までに解体され、残存してないので、 この鍵は牢獄の存在を後に伝えるわずかな遺物となっている。


バスティーユの鍵の動画