2020年5月19日火曜日

プロイセン軍人(9)フリードリヒ・ルートヴィヒ、ホーエンローエ=インゲルフィンゲン侯 (1746–1818)


ホーエンローエ侯(Friedrich Ludwig Fürst zu Hohenlohe-Ingelfingen) は1746年に生まれ、1806年のプロイセン戦役において、プロイセン軍の司令官としてナポレオン率いるフランス軍に対抗したことで知られる。 1792年の対仏戦争では師団を指揮し、1793年にはオッペンハイム、ピルマーゼンツ、ホルンバッハの戦いで優秀な成績を収めた。1794年にはカイザースラウテルンで勝利を収め、エムズ川中立線の指揮を執り、1804年にはフランケン公国の総督、ブレスラウの総司令官となった。1805年にプロイセン軍がフランケン地方に接近すると、サーレとトゥリンジアの森の間で軍団を指揮し、1806年の戦争では、ルイ・フェルディナンド王子の指揮下にあった先衛軍を率いてサーフェルトで敗北した。イエナの戦いでフランス軍に負けた後、彼は退却を指揮し、マグデブルクで彼の下に集結したプロイセンの大軍の残党をオーデル川に導いた。しかし、ブリュッヒャー将軍の陣地から遠く離れていたため、両軍は合流できなかった。騎馬隊もなく、歩兵も疲労困憊していたため、1806年10月28日、プレンツラウで17,000人の兵力で降伏することを決意した。 その後1818年2月に死去した。

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