2020年4月19日日曜日

1-12-a ジョゼフィーヌ(1)


やがてその名を広く知られるようになるこの女人は、貴族の入植者タシェ・ド・ラ・パジュリ卿の娘として1763年6月24日にマルティニーク島にて生を受ける。
若い時分、彼女はフランスに連れて来られ、ボアルネ子爵と結婚した。この若くて美しい花嫁は、哀れな運命をたどったマリー・アントワネット(やがて彼女もその後継者として后となる)を取り巻く集いに引き合わされた。そして機知と快活さでもって、彼女はすぐに宮廷の華の一つと見なされるようになった。このような経験は実際のところ有難いものではなかった。こうして彼女の移り気な性格が形成され、その後大変な苦労をするという経験をしてもなおこの性質は矯正されず、やがてナポレオンの許容範囲を超えた浪費癖として表出するようになる。

アレクサンドル・ボアルネ子爵
(ジョゼフィーヌの最初の夫)

ボーアルネ子爵が断頭台の露と消えたことで、彼女は金銭的窮地に陥る。夫の財産が没収されてしまったのである。しかし、バラスの影響で、その一部は彼女自身と2人の子供のために取り戻された。それでも状況は厳しかった。彼女の息子ウジェーヌは自身の教育費をパリのある慈善機関から借り受けていたとさえ伝えられる。彼女はあらゆる面で欠乏に陥っていた。フーシェの言葉を借りれば、この時の彼女は「とても王冠に得るに相応しくなかった。」
ジョゼフィーヌとその子供、
ウジェーヌとオルタンス
ボナパルトと彼女の出会いは、偶然の出来事によるものだった。総裁政府に動揺を与えたヴァンデミエールの反乱の後、パリの住民は武装解除するように命じられた。ある朝、15歳くらいの育ちの良さそうな若者がボナパルト将軍の宿舎に現れ、彼の父親の剣を返還してくれるよう求めた。若者の風貌と気構えに感じ入ったボナパルトはその要求を直ちに承知した。
翌日、ボナパルトはボアルネ夫人の突然の訪問を受ける。彼女は息子が受けた丁重な扱いに感謝を伝えるために来たのである。ボナパルトは彼女の魅力と、それ以上に才気に魅了され、彼女に求婚をした。

しかし、以下にあげる彼女が友人に書いた手紙からの抜粋が示すように、ボアルネ夫人はこの尋常でないコルシカ人と連れ添うことに恐怖心に近いものを抱いていた。
「私は将軍の勇気やあらゆる物事に関する知識の広さ(どんなことでも、彼は上手に語ることができます)に感心しています。彼の洞察力は、他者の考えを表に出る前に察知するのを可能にしています。しかし私は彼が周囲の全てを己の支配下に置くような様子を見て恐怖を拭い去ることができません。彼の人を測るような目つきには普通でないところがあって、うまく説明はできませんが、総裁たちさえもそう感じています。こうした面に女として怯えずにいられましょうか?(中略)バラスは私にこう言いました。もし私が彼と結婚すれば、彼にはイタリア方面軍の総司令官職が与えられると。まだこの地位は授けられていないのですが、昨日この昇進について口にしたところ、彼の同輩軍人らは陰で不平を言い交わしました。ボナパルトは私に、『総裁たちは私が己の栄達のために彼らの保護を必要としていると思い込んでいるのだろうか?いつか全員が進んで私の庇護を受けるようになるだろうさ!私にとって身に帯びた剣こそが最上のパトロンなのだ。貴女は、私が成功を確信している事についてどう思いますか?過度の自己愛から生じた、身の程知らずな自信の表れだと思ってませんか?一介の旅団長が政府の長を守ってやっている!つまるところ、これが全てでしょう。時折、こうした馬鹿げた確信が、この非凡な人間が思いつく非現実的な企てがたとえどんなものだろうと可能性があると見なす原動力になっている。そしてそう考える頭の中で、制止しようとする者は現れようか?』」(1829年発行のジョゼフィーヌの回顧録より引用。匿名で世に出たが、書き手は正真正銘ブーリエンヌである。)

ジョゼフィーヌは並外れた女人であった。 後年、魅力という点で彼女を上回る人物は多く現れたが、ナポレオンの心を捉えて影響力を保ち続けたのは彼女だけだった。 ナポレオンの身を思ってあえて彼に反対することができたのは彼女だけだった。 彼女だけがナポレオンをうまく宥めるタイミングと方法を熟知していた。ジョゼフィーヌの名誉のためにも、彼女が常に人道と正義心に基づいて影響力を行使したと言わざるを得ない。 彼女は慈悲深い心の持ち主だった。何千もの人々が彼女の計らいによって今も命を繋いでいる。 彼女の夫とは異なり、彼女は党派・思想・信条で人を分け隔てることはせず、その恵みはあらゆる人に行き渡った。 ナポレオンの「私が戦勝を得るならば、ジョゼフィーヌは人心を勝ち取っている!」との言葉は言い得ていた。

だがこうした賛辞に水をかけるような、浮気癖と甚だしい浪費癖を有していた。前者について、ボナパルトは一度は嫌悪感を抱いて離婚を凄んだが、恐らく彼女の嘆願と、さらにはその子供たちの存在がなければ、それを実行したであろう。
彼女の軽率さは度々ナポレオンの激しい怒りの的となったが、悪癖は治ることがなかった。やがて彼女はどう返済したら良いか考えあぐねるほどの借金地獄に陥った。
統領政府期のある時、ジョゼフィーヌの債権者達が返済を求めて度が外れて騒ぎたてるようになった。閣僚たちは誰もボナパルトにこの事実を知らせる勇気がなく、また債権者らへの支払いを行う術もなかった。そんな状態が続いたが、ある夜のこと、タレーランは意を決してこれ以上ないほど慎重に言葉を選んで、この事実を切り出した。その結果、ナポレオンの秘書であるブーリエンヌが、ジョゼフィーヌから借金の額を聞き出すために派遣された。彼女は120万フラン以上の借金を負っていたが、夫の激昂を恐れて、ブーリエンヌにその総額の半分以上の金額を夫に伝えるのを許可しなかった。

「第一統領の怒りは想像に難くない。 しかしながら、彼は妻が何かを隠しているのではないかと疑っていた。 だが彼はこう言った。『60万フランを返済にあてろ。だがそれ以上はくれてやるな。私が彼女の借金のせいで悩まされるのはこれまでだ。 借金取りどもが莫大な金利を得ようとするのを辞めないならば、奴等の口座を凍結するぞと脅すまでだ。』
ボナパルト夫人は勘定書を私に開示した。 それらの法外な金額は信じられない程で、おそらく債権者の、非常に長いこと金を貸し与えることになる恐れ、もしくは最終的にかなりの減額を強いられることへの恐れ、そのいずれかによるものと思われた。
  私はまた架空の請求書が多くあることに気づいた。 たとえば、ある請求書では、一月の間に非常に高額な38個もの帽子が注文されたことになっていた。帽子につける羽だけでも1,800フランもした。 私はジョセフィーヌに1日に帽子を2つもかぶっていたのか尋ねた。 彼女は『それは間違いでしょう』と言った。価格面でも製品面でも法外なレベルで供されているのは、ほとんど収奪と言ってよかった。私は統領の言葉に従って処理を進めたが、非難や脅迫を免れる事はなかった。だが多くの商人が請求額の半額の返済で満足したのはみっともなかった。そのうちの1人は元の請求額の80,000ではなく35,000フランを受け取ることで同意し、私の面前で図々しくも良い利潤を得たと自慢をしたものだった。」

しかし、彼女の欠点が何であれ、ボナパルトは彼女を愛し、彼女の方でも彼を崇敬した。彼女は戦役の多くを彼と同行し、短い合間でさえ彼から離れたがらなかった。しかし、彼はより若く、身分の高い花嫁を得る目的で、ジョゼフィーヌのありったけの愛情に対し離婚を告げるという形でひどい報い方をした。 幾度も抵抗したのち、ジョゼフィーヌは離婚に同意した。なぜならば、彼女が愛し、共に暮らし、そのためならば死ぬ事も厭わないと思っているナポレオンの意思であったからだ。しかし彼女はその後の日々を孤立と悲しみの中で過ごした。まだ低い身分だった頃から連れ添い、立身に不可欠な役目を果たした妻を捨てた事は、野心に駆り立てられたナポレオンが犯した罪の筆頭だった。

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