2020年5月10日日曜日

プロイセン軍人(2)ヘルマン・フォン・ボイエン(1771 – 1848)



ヘルマン・フォン・ボイエン(Hermann von Boyen)は、プロイセンの歩兵大将と陸軍大臣を務めた。またボイエンは「ラントヴェーア」の最初の提案者であり、それまで使用されていたものよりも穏当な規律システムを提案した。また、ティルジット和約後の軍の再編では、シャルンホルスト将軍とうまく協働した。1812年のロシア戦役でナポレオンに仕えることを嫌った彼は、祖国を離れてロシアに渡った。しかし、プロイセン国王がロシアと共闘としてフランスと戦う意思を示すと、彼は急いでかつての仲間と再会し、ビューロー軍団の参謀長として、1813年と1814年のほとんどの重要な戦いに参加した。パリ講和の後、陸軍大臣に任命され1819年まで務めたが、国王がラントヴェーアについて講じた措置が、当初それが組織された際の原則から外れた事に不満を感じ、職を辞して引退する。年金を得て引退した彼は、在任中には得られなかった望みを達成する。ボイエンは幅広い教養を持った人物で、21年の間、余暇の多くを著作に費やした。彼はシャルンホルスト将軍についての解説書(Beitrdge zur Kentniss des Generals von Scharnhorst)と、ハウグヴィッツの回想録への返答を書いた。プロイセン人の間では、「Der Preussen Losung 」と題された国民的な歌の作者としてよく知られている。1841年フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が即位したとき、ボイエンは主君の招待を受け入れ、歩兵大将の地位を得て軍隊に復帰し、その後すぐに再び陸軍大臣を担当することになった。


=参考文献=
Encyclopædia americana: a popular dictionary of arts, sciences, literature, history, politics and biography, 第 14 巻(1850年刊)

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