「その高みから失墜した前任者(シャンパニィ)と比較して、与えられた新たな機能を担うには適さない」
およびプラット司教(ナポレオンの秘書・ワルシャワ大使も歴任)の、
「彼は順番も分類もわからず、保管箱と書類を果てしなくごちゃまぜにしていた。そのため、私はこれがあのマレ氏かと悲鳴をあげた。革命の全ての時期、すなわち国民公会の記録係控室から、帝国の至高の大臣職まで登りつめた人物が、今では人々をその問題行動で当惑させている。これが新聞記者固有の資質の持ち主を国家の大臣に転換させたらどうなるかという事か!」
との厳しい意見を紹介し、マレの行政管理能力に疑問符を投げかけている。
おそらく、ナポレオンの書記官としてその指示を各部局に的確に伝達する能力に優れていたのだろう。軍事における参謀長ベルティエの役割と似ているのかもしれない。ただ反面、本書の描写によるならば、自ら物事を采配・管理する能力は十分に備わってなかったらしい。
その後のマレだが、七月王政が樹立すると、ルイ・フィリップにより隠居の身から登用される。そして1839年にパリで死去する。
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