マレ |
若い頃の彼は軍事に興味を示し、もし家庭の事情が彼の意思を妨げなければ、軍隊を志したことに疑いは無かった。彼は法曹の仕事に就く為、法学を学んで学位を取得したが、彼に外交官の道を進んで欲しいと願った父親の意向に従ってそれを断念した。従って彼はパリに移ると、著名なるブショーによる自然法と国家法の講義に出席し、また社交界にも知遇を得た。しかし彼のパトロンであったヴェルジャンヌ伯爵の突然の死去により、彼は三たびキャリアを断念せざるを得ず、海図もコンパスも待たない状況で人生という大海の中に置き去りにされた。将来の計画を固めるのにこれらの境遇がどれほど役に立っただろうか!
若い頃のマレ |
だが若き野心家はかくも無為に長い時間を過ごす事は無かった。革命が生じると、彼はこの出来事が彼にどのような利益をもたらしてくれるか思案した。そして彼は公務と国際法の分野に戻る以上に良い道は無いと考えた。彼は三部会の動向を間近に見るため、ヴェルサイユに居を構えた。議会に引っ切り無しに出席し、スピーチ原稿の冒頭文を書き上げたが、それは今後の参考の為に役に立つと思われたからである。自分でも気付かぬほど彼はこの仕事に没頭しており、彼はあらゆる名だたる大演説の大要をひとまとめにしていた。能率的な書記官かつ言葉の略書きの専門家として、彼は国民公会の出来事の公平な縮図のような物を作成できるのではと考えた。しばらくの間、彼はそれらの著作物を世に出そうとは思わなかったが、彼の友人の助言と何よりも逼迫した状況に急かされて、ようやくそれらを日々出版することにした。この試みは大成功で、彼がその労作をモニタール紙に掲載したことで、わずか一月のうちに、この新聞の購読者数は10倍となった。
彼がこの仕事を政治の舞台へのデビューに至る前段階とみなしていた事に疑いはない。だが、もたらす儲けは相当な物だったので、国民公会が解体されてこの仕事を失った時にはおそらく後悔しただろう。彼の国内政治の知識を広げる以外にも、この仕事は彼の野心に大いに役に立ち、多くの著名人との知遇を得ることができた。その中にはやがて彼を政務の世界へ誘ってくれるルブランもいた。マレの外交官としてのキャリアはハンブルクへ赴く使節団の秘書官として始まる。その後、より強い権限を与えられてハンブルクからブリュッセルへ移るが、彼の最も重要な任務はロンドンにてイギリス政府と和平交渉にあたる事だった。この件に関して彼はピット氏と会談を持ち、その過程にて、彼はこの任務が上手く行くだろうとの感触を得た、もしくはそのような妄想をしたが、彼の雇い主の政府は彼の提案に対し何ら信用を付与する性質を持ち合わせていなかった。やがて、ルイ16世の処刑によってあらゆる交渉は怒りのうちに立ち消えとなり、マレと駐在大使はこの国から即座に退去を命じられた。
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