2017年7月3日月曜日

ベシエール 補記

ベシエールだが、かなり高評価を受けている。全体的に毒舌傾向の本書の中で、ここまで手放しで褒められている人物はかなり珍しい。特に内面・素行が、ナポレオンの部下とは思えないほど、優れていたと強調されている。つまるところ、本書の著者は、ナポレオンの部下全般を言ってしまえばゴロツキ集団と捉えていたということか。

実際のベシエールだが、本書でも述べられている通り、物腰は紳士的で、ナポレオンは威儀が求められる親衛隊長に任命するにあたり、そうした要素も考慮に入れたとのこと。ナポレオンに近侍し信頼を得ていた彼だが、周囲と全く問題なくやれていたかと言うとそうでもなく、ランヌから親友ミュラ共々目の敵にされていた逸話は有名だが、他にもネイとも悶着を起こしている。

1804年、帝政の幕開けと共に元帥に選ばれた事に対し、マルモンが「ベシエールがなれるなら、誰でもなれる」と口にしたと言うが、軍司令官を務めた事のない彼が選ばれたのは、皇帝のえこひいきと見る向きもある。もっとも、他にランヌ、ダヴーらも、軍司令官にならずとも元帥に選ばれているので、彼ばかりが特例と言うわけでもない。

1805年のアウステルリッツの戦いでは、ロシアのコンスタンチン大公指揮下の皇帝親衛隊めがけて、親衛騎兵隊を率いて突撃を行い、プラッツェン高地の獲得に貢献する。1807年のアイラウの戦いでは、ミュラの騎兵ともにロシアの戦列を突き崩した。

ベシエール
1808年、第2軍団長としてスペインに送られる。ここで初めて本格的に独立した軍団の指揮を委ねられた。本書にあるように、メディナ・デル・リオセコの戦いでは、優勢のスペイン軍を見事敗退させた。ただし、本書で言う犠牲者数27,000人は誇張されている模様。ジョゼフをスペイン王位につけるのに貢献したものの、デュポン軍団がバイエンで降伏すると、ジョゼフはマドリッドを追われ、ベシエールもブレイクとキュエスタに押されエブロ川まで撤退を余儀なくされる。フォワ将軍は彼について「勝利を組み立てられるのに、それを活かせない」と評している。半島にやってきたナポレオンは彼の能力の限界を察したのか、軍団の指揮権を取り上げスルトに与え、ベシエールを再び親衛隊指揮官に戻した。

1809年、オーストリアとの戦いが始まると半島から戻される。エスリンクの戦いでは、中央に配置され、優勢の敵軍に対しよく持ちこたえた。また、この戦いの間に起きたランヌとの諍いの逸話はよく知られている。オーストリアとの和約が締結した後、ナポレオンはジョゼフィーヌと離婚をして、オーストリア皇女マリア・ルイーザと再婚するのだが、個人的にジョゼフィーヌと親しかったベシエールはこの離婚に反対したと伝えられる。

1811年、彼は再びスペインに送られ、北方軍の指揮をとる。しかし、ナポレオンという最高司令官が不在だと、元帥たちは全くもって相互の連携を欠くようになっていた。ポルトガルに侵攻したマッセナは、ウェリントンの築いたトレス・ヴェドラス線を攻めあぐね、アルメイダに向けて撤退を開始した。5月3日、追撃するウェリントン軍と、フエンテス・デ・オニョロにて合戦となる。マッセナはベシエールに対し、全軍をあげて救援に来るよう要求したが、ベシエールはわずか800ばかりの騎兵しか送らず、しかもその指揮官はベシエール以外からの命令は聞かないと言い、マッセナからの敵軍に向けて突撃せよとの指示を拒んだ。後にウェリントンは、ベシエールのマッセナへの支援拒否がフランス軍の敗退を招いたと述べている。激怒したマッセナはナポレオンに訴えたが、マルモンと交代する形で司令官を更迭された。ベシエールもまた指揮権を取り上げられた。

1812年のロシア遠征では、より拡充された親衛騎兵隊を率いた。9月7日のボロディノの戦いの時、ロシア軍の中央が崩れかけているのを見た元帥らは、ナポレオンに皇帝親衛隊の投入を要請した。しかし、ベシエールはそれらを将来のために控えておくよう助言をした。このせいでフランス軍の決定的勝利は失われたと彼を批判する向きもある。他方、モスクワからの撤退時には、チェルニヒウにてコサックの襲撃を受けたナポレオンを救い出してる。

1813年、ミュラが離脱してナポリに帰還すると、全騎兵の指揮官となった。そして5月1日のルッツェンの戦いの前日、リパッハにて弾丸の直撃を胸に受け、命を落とす。その死にあたって未亡人となったベシエール夫人に、ナポレオンはこう手紙を送った。「貴女の夫は名誉の戦死を遂げた!貴女と子供達の喪失感は疑いもなく大きいだろうが、私にとっては更にだ。イストリア公は、苦しみもなく、最も美しい死を遂げた。彼の名声に汚点は見当たらない。これは彼が子供達に残しうる最も見事な遺産だろう。私は子供達の庇護者となろう。子供達は私が父親に抱いた愛情を引き継ぐことができる。貴女の悲しみを慰めようと配慮していると察し、私の貴女へ抱く心情を決して疑わないで欲しい。」死後ベシエールは多大な借金を残したが、それは彼が愛人に相当な金をつぎ込んだせいとのこと。ナポレオンはその借金を清算してやり、また未亡人に手当を与えている。

ベシエール夫人

こうして概観してみると、完全無欠な人物というわけではなさそうだが、人道的な面で問題がなければ、多少の瑕疵には目を瞑るというのが本書のスタンスなのかもしれない。

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